甲賀の自然は薬草の宝庫
甲賀の自然は薬草の宝庫

「薬売り」と聞いて連想するのはどうやら越中富山のほうがポピュラーになってしまった。でも、元祖は滋賀県。有名な万金丹は、はるか慶長年間に甲賀の薬僧が処方したものだ。
 「茜さす紫野行き標野行く」といえばあまりにも有名な万葉の恋の歌。額田の王と大海人皇子が詠みかわしたのは天智天皇に連れられて狩りにきたときのこと。でも、実は狩りばかりでなく、蒲生野(滋賀県蒲生郡あたり)の豊富な薬草を求めてのことでもあった。また伊吹山は平安時代の初めには、国内でも有数の薬草の自生地として知られていた。

 織田信長が薬草園を開いたのは有名な話。信長は、ポルトガルの宣教師に3000種もの薬草を栽培させたと伝えられ、今も250種近くが自生している。甲賀で製薬業が発達したのは、忍者が持ち帰った知識に加え、伊吹山から甲賀まで昔から薬草の宝庫で、土壌や気候が適し、成分も富山や信州の薬草より高いし、それに都に近いので早くから薬の知識も文化も進んだためと考えられる。
 当甲賀流忍術屋敷の当主「望月家」も明治の初めまで伊勢の浅熊岳の明王院の神札と万金丹などの薬を売り歩くことを生業としていた。それが忍びの者の隠れ蓑になっていたのである。現在も甲賀地方には薬関連の工場が数多く見られる。