忍びの旅と言葉の壁
忍びの旅と言葉の壁

甲賀と言えば滋賀県の最南端で、三重県の伊賀と隣り合わせの位置にある。しかし例え隣でも、戦国時代は国が違う。国ざかいには関所が設けられ検問されていた。しかも世の中は荒れていて、法があって無いような時代。文字どおり切り捨て御免、何がおきても泣き寝入り、そんな時代。

 浪速(大阪)、都(京都)、信長、秀吉、家康、の本拠地、尾張、三河にも甲賀忍者に通じる仲間をおき、その仲間との連絡を密にして常に情報を得る。その間の行き来の道中は殆ど口をきかずに往来する。と言うのは当時はまだ全国共通の言葉が確立していなかったからだ。たとえ隣でも国が違えばお国なまりが極端で、ウッカリ気を許して口をきいたら、すぐによそ者ということがバレてしまう。
 仲間からの連絡を受けたらまっすぐに帰ってくる、帰ってこなければ仕事にならない。身分を知られずに旅するのは当時一番困難だったようである。